あつなりのそれでもブログを書いている

※カナダはトロントにてワーキングホリデー中でございます。参考にして頂けると幸いです。

バイクの買取と希望と不安

を抱いた1日でした。

そして、今日は僕の母方の祖母の誕生日でした。齢97歳になったとのこと。いとこも駆けつけて、軽く昼ごはんも出前を取って、プチ贅沢でささやかにお祝いをしました。でも、いとこが「100歳まで生きてや。」っていう一言に対して、「早くあの世に逝きたい。」って祖母が哀しげに返事をしていたので、少し聞いてる側としては寂しくなりました。

母曰くは、体を弱らせて、座るのもしんどくなり、節々を痛ませて苦痛に顔を歪ませながら生活をするのは大変苦しいので、そう思うのも無理はないとのことだった。残酷な話だが本当にそう思ってしまう。

安楽死については、今でもお偉いさんで議論が繰り広げられているであろうが、こういう風に考える高齢者が後を絶たないので認めてあげたらいいのではないかと思う。そりゃ、10代、20代とか人生をよくわかってない若者が死にたいと喚くのは全力で止めるべきですし、安楽死を認める自体論外だとは思うが、ここまで長く生きた高齢者であれば、その権利があるとすれば、行使してもよいと思う。それこそ、最新の医療技術で高い金と技術を使って、長く生きさせるというのは医療従事者のエゴとしか思えない。それで、諸外国に日本の医療技術と寿命の長さを誇りに思うのであれば、どこか違う気がする。治る余地があるのであれば、治療を続けてもよいとは思うが、実際問題、現状維持というケースが多いのであろう。だったら、生きることに希望を見出せず、死にたいと思うのであれば、死なせてあげてもよいのではないかと、祖母を見ながら思った。

僕が日本に帰ってくる頃まで、生きているのであろうか。

ひ孫の顔は見せられそうにない。そのことについては、申し訳なく思う。

昼食後、バイクの買取屋が来て、買取をして頂いた。所要時間は1時間程と説明を受けた時、マジかと思ったが、それだけ丁寧に査定するとそれくらい時間がかかるのだろうと後々納得した。

来て最初、いかにもバイクを積みますよっていうごとくの4.5tトラックを引き連れてやってきた。その仰々しい姿を見た時、ああこの2年半の間苦楽を共にしたバイクとお別れするんだと、変に寂しさが後を引いてしまった。

会社を辞める時もそうであるが、自分の身の一部みたいな存在を失うとやはり人というのは心が痛むものだとしみじみと思ってしまった。

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そして、いざ査定が始まると食い入るかのごとく僕のバイクをまざまざと見始めた。その姿はかの名探偵コナンも顔負けである。そうして、探偵が注意深くバイクを観察する中で、僕はさも容疑者のように立ちすくんでいた。何かやましいことはないか。査定に響くような変なことはしていないか。この姿も容疑者X顔負けである。

しかし、そのような僕の期待とは裏腹に色々ご指摘を受けた。まず、最初「一回転倒したことありますね。」とご指摘を受けた。だが、僕は転倒をした覚えがないのだ。痴呆症でそういう都合の悪いことをど忘れしているとかそういうわけではなく、本当に転倒などしていないのだ。そこで、理由を聞いてみると、転倒した時の傷を補修した跡や、グリップのあたりが転倒したことにより一部取れかかっているとか、そういう転倒したと思わしき証拠を数多くの刻んでいたのであった。

これには、少し驚いた。恐らくは、前のオーナーがしてがした傷なのだろう。しかし、そのことについて説明を受けた記憶があまりない。多分、受けたのであろうが、そんなどうでもいいような話は遥か彼方に追いやってしまったのである。買った当初は、とにかく動く125CC、しかも安い機種を探していたので、それ以外の情報は度外視していたのである。だから、そんな記憶はとうの昔に忘れてしまったのであるが、まさか、いざ買い取ってもらうとなって響くとは思ってもみなかった。まるで、忘れた頃に飛んでくる猫パンチである。そこまで、可愛くもないが。

他にも、給油口のあたりが汚れていたり、ダッシュボートのあたりが色あせていたりと、不具合が出るわ出るわのオンパレードであった。やはり、容疑者Xは容疑を隠し通すことができなかったのである。そして、それをつつがなく見破る名探偵コナンも流石である。なんだか、僕のドナドナのごとく買い取られていくであろうシグナスもどこか不安げというか寂しげに写ってしまった。

その後、査定の結果の話に入ったのだが、いかんせん勿体振るのである。中々、金額を言わない。実際のコナンくんは証拠とか包み隠さず、ストレートに言ってくれるのに。とは言え、話のやり取りとかでなんとなく想像はついていた。

どうやら、買取ではないなと。こちらが、お金を払って引き取るパターンになるのではないかと。

僕の予感は的中した。バイクの状態からして、お金を払う羽目になってしまった。さすがに、買取でいくらかお金が返ってくることを期待している客に対して、まさかお金を払ってくださいなんて言えるわけもなく。だから、ここまでもったいぶったと思われる。

お金を払うことになって、買取員の説明に妙に納得してしまったため、別になんの疑念もなく引き取り価格である1万5千円を支払った。この辺はいさぎのよい容疑者Xなのである。

僕個人としては、きちんと説明をして頂き、自分に落ち度があると納得できれば、自分が損する話であっても晴れやかな気持ちで損を受け入れている感じがする。その辺り変に善人ぶっているのかもしれない。かといって、ここで駄々をこねても何の得にもならないし、むしろ時間の無駄であるというのが本音ではある。

無事引き取りが終わり片田舎には轟々しい4.5tトラックが足早に次の取引先へと向かった後に、僕は荷造りと進めた。昨日の状態からビジネススーツとか革靴とかその他諸々を詰め込んだのだが、案外余裕があった。

恐らく、僕みたいに趣味目的(バスケとランニングと筋トレ)があって、ワーホリに行く人は荷物が多くなる傾向にあると思う。それこそ、単に語学目的でワーホリに行くのであれば、130リットルのスーツケース一つで十分すぎるくらいである。本当に無趣味の人のスーツケースの中身が見たいほどである。でも、裏を返せば、それだけ夢や希望でスーツケースやカバンを喜ばせるほど、パンパンにしてると言えそうである。

とは言え、荷造りが進みにつれ不安も徐々に背中から忍び寄ってくるのも事実である。異国の地で生活をするのだ。まずは、きちんと入国できるだろうか。ホームステイ先で受け入れてもらえるだろうか。友人ができるだろうか。語学学校の授業にきちんとついていけるだろうか。バスケはできるだろうか。可愛い金髪美女と付き合えるだろうか。等々。ここで書いた不安だけでも結構クルものがある。それ以外にも言葉で言い表せないなんなとなく漠然と存在しているような不安もある。

でも、そういった不安というか非日常を体験したくわざわざ会社を辞めたのであるから、こういう出発前夜の不安でさえも経験であり、財産であると割り切るしかない。そう考えると人とは違った経験をしている自分を褒めたたえたくなるから不思議なものである。むしろ、無理やりこう思わないとやっていけないというのも事実である。

今日、きちんと寝れるかな。まるで、遠足や修学旅行前日の小学生の気分である。寝坊はしないであろうが、まずは寝れるかどうか。ここから戦いが始まっているように思えた。

 

 

ワーホリの荷造り

を始めた。出発が明後日の4月14日(金)なので、もうそろそろ準備をした方がいいのではないかと思い、始めた。

始めてみて、どうか。皆さんだったら何を詰めますか。空っぽのでっかいスーツケースの中に何を詰めますか。愛ですか?夢ですか?希望ですか?そんなロマンチックな回答はさておき、現実は衣類でほとんどが埋まってしまうのである。これが、現実なので仕方ない。スーツケースの容量の9割程を占めていると言っても過言ではない。なぜなら、現地(カナダ)で衣類を揃えると値段が相当高くつきそうな気がするからである。だったら、圧縮袋でできる限り圧縮させて、制限重量とスーツケースのキャパが許す限り衣類を詰め込んだ方が経済的というものである。

何なら、別で現地までEMSで郵送しようとまでしている。EMS(飛行機便)なら、5㎏で8千円程で配送できる。そして、もちろんのごとく中身は8千円以上に価値があるダウンジャケットやらリーバイスの短パンやらシャツやらマフラーやらをこれまた圧縮袋で圧縮して詰め込んでいるのである。正に、圧縮袋様さまである。圧縮袋に頭が上がらなくなると言っても過言ではないくらい、今回の渡航における活躍ぷりは相当のものである。

スーツケースに入れる衣類であるが、単純に普段着る服だけでいいのでは?って思ってらっしゃる方が多いかと思うが、実際問題それでは済まされない。例えば、寝巻き。寝巻きこそ現地調達できるのではないかと思うかもしれないが、現地調達するにしてもするまでの間どうするか。やはり手持ちの衣類を着るしかないのである。そう考えると寝巻きを持っていくことはマストである。それ以外にも、ビジネススーツ。僕は、一応カナダに現地で働く気で行くので、いずれは必要になるし、そもそもバイトの面接を受けるのにカジュアルな私服ではどうも僕のプライドが許されない。きちんとした服装…。となると、ビジネススーツしかないと僕の短絡的な思考回路がそういう回答を導き出したのでそれに従い、ビジネススーツを持っていくことにする。

ビジネススーツとなると、背広とシャツだけでいいのではないかと思われるかもしれないが、実際問題そんなわけがない。足元をどうしますかという話である。さすがに、上下をスーツでビシッと決めているのに、足元がスニーカーでは元も子もないのである。となると革靴が必要となるのである。

ちなみに、靴の話が出たが、靴だけで僕の場合、4足持っていくこととなる。今言った革靴がまず一つ、そして、ランニング用シューズ。これで、2足。そして、残りの2足はバスケットシューズである。バスケットシューズなんて1足でいいですやんっていう方がいるかもしれない。確かにその通りだ。バスケットシューズなんて1足あれば十分なのである。まして、1年だけの間である。でも、そこはこだわらせて頂きたい。毎日同じシューズでバスケをするなど、僕自身が楽しめない。バスケをする上ではこだわりを押し通すことも大事だと考える人間なので、そこは、こだわりを押し通したい。でないと、カナダに行ってからのワーホリライフの楽しさが半減してしまうように思えてならない。せっかく、行くのであれば自分の心ゆくままで楽しめるように行きたい。その結果がバスケットシューズ2足持ちという暴挙である。

僕は、カナダに行ってから1ヶ月間はホームステイをする予定である。そのため、ホームステイ先にお土産を持っていくのだが、そのお土産を何を血迷ったか、なんと日本酒の一升瓶を持って行こうとしているのである。日本酒の名は獺祭。やはり、サッカーの元日本代表の中田英寿も広めているが、僕も日本酒の素晴らしさを世界に伝えたい。その一里塚がホームステイ先への提供というわけである。そのこだわりはバスケと同じくやはり譲れない。となると、このかなり嵩張る一升瓶を持っていかざる得なくなるのである。一升瓶とバスケットシューズ2足だけで、スーツケースの4分の1を占めている。自分のこだわりがスーツケースの4分の1のスペースを追いやってしまったのである。こだわりというのは恐ろしいものである。

そういえば、衣類が9割という話をしたが、衣類の中でもバスケとランニング用の衣類だけで5割は占めているのである。さすがにこれだけの量となると、一つのスーツケースには収まりきらないので、別のリュックに入れて持っていくことにする。もちろん、圧縮袋で圧縮させた上である。大概の飛行機便では預けられる荷物としては最大2個までオッケーというところが多いと思うが、僕が乗車する予定の中国東方空港の飛行機でもその例に外れることなく、預けられる荷物は2個までとなっている。不安に思ったので、直接電話で確認をした程である。たどたどしい日本語対応だったところが変に不安を残らせてしまったが。それにしても、1個と2個とでは雲泥の差である。1個だとどうしても物足りない。2個あれば、どうにか収まりが効くものだと荷造りをし始めて思った。ましてや、僕みたいに向こうに行ってから、ある趣味を楽しむ人ってどうしても荷物が多くなりがちだと思う。そんな人からすれば、荷物を2個預けられるというのは正に助け船である。

そして、そんなこんなで衣類が9割というどこかのベストセラーのタイトルかのごとく荷物を詰めていったわけだが、あと残りの身の回りの衛生用品等は明日準備をすることにする。

でも、僕の中では衣類等が無くても、最悪現地調達すればいいと考えており、ましてやカナダには日本人も多いわけだから、いざとなれば頼ることも可能である。僕は人見知りだが、人間本当の危機に面したら、性格だの世間体だの気にしなくなるものだと思う。言うなれば、入国さえしてしまえば、勝ち確なのである。逆に言えば、そこが一番心配なのである。果たして、本当に入国資格があるのか。そして、ワーキングホリデービザは本当に下りていたのか。実は、誰か闇の権力かなんかの手のひらで踊らされていただけだったとか…。そんなわけわからん想像が頭を巡るのである。まずは、入国してホームステイ先に行く。それだけを考えると荷造りなんてどうでもいいようなことに思えてくる。

準確定申告

というものを先程、行ってきた。準確定申告と言うのは、噛み砕いて言えば、今年の年収はこれくらいだから、納めた税金もこれだけですと税務署に申告することである。一般企業にお勤めの方は年末調整がそれに当たる。一応、納税が国民の義務となっているので、義務を果たすべく、税金を申告したというわけである。

すると、どうか。なんと、納めた税金がそっくりそのまま返ってきたではないか。曰くは、今年の年収が所得税の控除額を下回っていたので、納めた分がそのままお返しするということであった。

これは、有難い。正直、申告するだけで、お金は取られはするものの返ってくるなんて夢にも思っていなかったからである。臨時収入とは正にこのことである。ただ、この臨時収入も昨年分の市民税の納付で全て消えてしまうのだが。これも、国民の義務と思って腹をくくるしかないのである。結局、会社を辞めたところで取られるものは取られるのである。でも、これからワーホリを考えている方がいらっしゃったら、絶対に税務署に行って、準確定申告はしておいた方が良い。今回のケースのようにお金が返ってくる場合が多いからである。

税務署にて還付を受ける前、僕は家族と共に100円寿司を食べに行った。名前はスシロー。あの大手チェーンの一角を担っているスシローである。とは言え、先日、春駒で回らない寿司を経験している間もない身としてはクオリティに満足などするはずもなかった。

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写真のものでまだマシな大きさのものであるが、大概がネタが小さくシャリでカロリーを稼いでいるものばかりであった。まるで、しょうもないトークで尺を稼いでいる某バラエティ番組かのごとくである。

でも、とは言え、寿司は寿司である。海外に行ってからは、寿司を食べる機会が皆無になることを考えると、例え100円寿司とは言え、色々なものを噛み締めて食べないといけないと変に意気込んで食べた。

久しぶりに食べてみると、100円という枠組みながらもその中で足掻いて、工夫してネタを創作しているという感じは伝わった。でも、今や100円という枠組みに限界を感じたのか、一皿280円とか、もはやコンセプト総崩れのようなネタも提供されていたので、生き残りは難しいんだろうなと思った。さすがに、親の金で寿司を食べているので、そこまで食べると申し訳ない気持ちで喉が詰まりそうになったので、頼みはしなかったが。

親に申し訳ないと言えば、今の状況が随分と息苦しい。実家に帰ってきて、衣食住が確保されているニート生活に何の息苦しさを感じるの?と思われる方がいるかもしれない。でも、本当に息苦しい。何がというと、無償でそういう世話を受けていることに対してである。

ある心理学実験でこういうものがある。あるサービスを受けて、そのサービスに対して、任意の値段を支払ってくださいというものである。この実験のミソは任意というところである。任意なので、支払わないという選択も可能なのである。すると、どうか。大概の人はある一定の金額を支払うのである、タダでも良いのにも関わらず。人間というものは元々性善説みたいな形で作られているのではないかと思ってしまうほどである。

これと同じことで。無償でサービスを受けていることに気持ち悪さを感じているのである。だから、寿司代も自分の分は自分で払おうかとお金を差し出したのだが、断られた。親というものはそういうものなのか。結局、申し訳ない気持ちを内に秘めながら回る寿司屋を後にした。

あと、実家にいると妙な気持ち悪さに襲われる。元々親の小言とかそういうのが嫌いで一人暮らしを始めたのだが、その嫌と思っていたことがドッと襲いかかってきているのである。

例えば、衣類をとっても管理がし辛い。親が勝手に洗濯してくれるのは有り難いのだが、洗濯した後の管理が行き渡っていないため、選択してもらった衣類が行方不明になることもしばしば。そのため、衣類を探すのに余計な時間を取られてしまっているのである。

あとは、親の小言。うちの両親は仲が悪いため、一緒の部屋に入れば、大概口喧嘩が勃発している。桜島の噴火よりも頻度が多いんじゃないかと思うほどである。それくらいの頻度で細かい噴火を繰り返されたら、聞いている側はイライラして仕方がないのである。更に悪いことに、八つ当たりかのごとく、そこで募ったイライラを僕に小言という形でぶつけてくるのである。イライラと居心地の悪さのダブルパンチである。「夜は短し歩けよ乙女」に出てくる黒髪の乙女の猫パンチみたく可愛らしいものなら、受けがいがあるというものであるが、残念ながらそこまで優しいものではない。むしろ、真綿で首を絞めるかのごとくじわじわ来る類のものだからかなりタチが悪い。もはや、殴るの話ではなくプロレスの話になっているが。

でも、トータルで考えても実家暮らしをこれ以上続けると精神衛生上悪い。よく、会社を辞めて実家でゆっくりするという話を聞くが、本当にゆっくりできているのかと思う。ここで言う居心地の悪さと言うものは感じないのだろうか。僕は、約10日で限界に達しつつある。だから、今日の晩御飯はあえて外食しようかと思う。無償で世話になっている関係が気持ち悪くてしょうがないからである。

実家暮らしで社会人やっていて、家にお金を納めないっていうケースをよく聞いたことがあったが、居心地の悪さとか罪悪感とかそういうのって無かったのかなと思う。先程の心理学実験の例でもそうだが、人間元来無償でサービスを受けることに罪悪感を感じるの生き物なので、そういう心理って働かないものなのかなって思ってしまう。そこまで、親に依存して逆に気持ち悪くならないのかと思ってしまう。でも、そういう人は結局は何かに依存しっぱなしの人生を送ってしまうものなのかなと思ったりもする。そこには「自由」がないんだろうなと変に哀れんだりもしてしまう。

僕の今の無職で海外に行く身分をどう思うかは知らないが、会社員とか実家暮らしとかで何かに依存し続ける人生なんてみすぼらしいなって思う。こちらの行動を嘲笑う前に自分たちはどうなのかって本気で考えた方が良いと思う。とは言え、向き合った結果、満足しているのであれば、それはそれで尊重はするが。でも、僕は耐えきれない。だから、社会人になってから早々に一人暮らしを自費で始めたわけだし、今回みたく会社を辞めて、海外に行きたいというドン・キホーテみたいなことをする次第である。ちなみに、社会人になってから早々の一人暮らしは上司、同期も含めてかなり懐疑的に見られていたのだが、それも今となれば懐かしい。周りから理解されにくい生き方をしているなと自分のある種自虐的な行動に満足感を抱いていたほどである。

さて。実家にいるのが嫌だから、今晩はファミレスで読書をしながら時間を潰すとしよう。何だか、中学生の反抗期みたいな行動だなと我ながら思ってしまう。ネオニートの生き方と言うべきか。いずれにしろ、実家にいると息が詰まりそうになるから、美味しい空気を吸いに行くというか、今もマクドナルドで吸いながら、ブログを書いている。

 

はたから見れば、僕はどういう風に映っているのだろうか。

 

終電

を昨晩、乗り過ごした。

というのも、バスケのサークルの飲み会があって、東大阪にある某鳥貴族で11時半くらいまで飲んでいた。それで、そのままの勢いで終電を乗り過ごした次第である。ただ、代表の方が11時半くらいになって、終電大丈夫なのかって聞かれた時は、少し悪意を感じた。どう考えても厳しいだろうと。そして、案の定、終電が見事になかったのである。あの時の代表の顔がどこか悪意に満ち溢れていたように思えてならない。って言うと、結構おごがましい話であって、ぶっちゃけ終電を乗り過ごしいいような感じで飲んでいたので僕としては別に構わなかった。

話としては、サークル内の結婚事情で盛り上がった。◯◯はこういう経緯で結婚しただの、結婚せざるを得ないだの、妊活をするだのしないだの云々かんぬん。僕としては、あまり入る余地のない話ばかりだったので、傍観者として話を聞きいっていた。ただ、あまり印象に残る話はなかった。強いて、言うなれば結婚生活についての愚痴ばかりだったので、街中で見る夫婦がベビーカーを引いて、仲良さげに歩いている姿というのがいかに幻想かということを思い知らされるばかりだった。独身にとって、結婚後の生活の愚痴ほど、結婚に対するモチベーションを折るものはないと思う。

僕の身の周りを見ても、基本的には楽しそうに結婚生活を送っているケースを見たことがない。自分の親にしても、仲が良いとは到底思えない。毎日口喧嘩が絶えないのである。更に言えば、夫婦ともども還暦を迎えているので、仕事は当然リタイアしているのである。言うなれば、家で共有する時間が物凄く長いのである。そのことが、口喧嘩に拍車をかけているような気がしてならないのである。火に油を注ぐとは正にこのことである。元々仲がよくなかったところを更に時間の共有の長さが拍車をかけているといった状況である。そうなると、口喧嘩をしているのを見る側としては気分が悪いことこの上ない。仕事をリタイアした熟年夫婦で、旦那の方が空気になるというのはよく聞く話ではあるが、うちの場合は空気以下の存在のように思える。何というか、母の悩みのタネになっているというか。まぁ、そんな家庭事情が見るに堪えなかったわけなので、僕は一人暮らしをしていたわけである。やはり、家に帰ってからも余計なことでストレスを溜めたくはなかったからである。

話を戻して、昨日のサークル内の飲み会でもそういう話があって、奥さんが家事をまったくやってくれなかったり、旦那と話しても口喧嘩ばかりしたりだのそんな話ばかりである。繰り返し言うが、結婚して、毎日奥さんの手料理を食べれて、時には、旦那の方がご飯を作って、それで寝食を共にして、笑って暮らすといった某ラブドラマに出てくるような甘い結婚生活はやはり幻想なのである。でも、そういう幻想を追うのが人間というものであって、そういう愚痴に対して辟易としながらも、甘い結婚生活に対する希望を捨てないように密かに思った。そのためには、結婚前の同棲生活は不可欠で、特に一緒に結婚前に旅行に行ったらいいとちきりん氏の著書に書いてあった通り、いつもとは違う場所で男女が寝食を共にしたらどうなるかっていうのを体験するのはとても大事だと思う。その内容を読んだ時、結婚前に旅行に行くのはマストだと思い、絶対に実践しようと思った。

それにしても、昨日は疲れていたのか、話にキレがなかった。というのも、周りは学生時代のエピソードとかで滑らない話を披露していたのに僕の口からはそんな話が一切出てこなかった。学生時代、友達いない芸人でまかり通っていたので、あまり面白いエピソードの絶対数こそ少ないのだが、それでもなんぼかあったなと飲み会が終わってから反省している次第である。例えば、中学の時にプールの時間にブーメランパンツからアソコがはみ出ていた同級生がいた話とか、大学の時に試合の次の日にオートロックをこじ開けて、勝手に僕の部屋に入ってきて、試合のDVDを見ようとした悪友がいたりとか、酔った勢いで道路のど真ん中で寝だすヤツとか…。思い起こせばこの手の滑らない話はいくらでもあったはずなのに咄嗟に出てこなかったことが不思議でしかたない。ワインの1、2杯で(遠慮した)、僕の脳の一部は侵食されてしまったというのか。原因がわからないが、面と向かって話にキレがないと言われたのは初めてで、裏を返してみても、普段から話がキレッキレというわけでもないが、とにかく話にキレがなかったのは事実のようであった。

その人曰くは、人間というのは生きている上で面白い体験を幾度となくしているはずだから、そういうエピソードがないこと自体おかしいということらしいのだが、確かにその通りだと思う。人間、一生能面のごとく無表情で笑顔ゼロっていう人はいないはずだからである。

笑顔で思い出したが、僕は社会人になってから二度財布を盗まれているのである。その一度目が会社の行事で吉本新喜劇の生演劇を見に行く晩にあって、自転車の前かごにビジネス鞄を乗っけて移動していたところ、3人組の女子中学生と思われる集団に囲まれて、気がつけばビジネス鞄がなく、盗まれていたのである。あの時ほど、頭の中が真っ白になったことはなかった。まるで、初代ポケモンで相手のトレーナーに負かされた時に目の前が真っ暗になる、あのような感じであった。実際、夜中に事が起こったので、目の前が真っ暗であったことには間違いはないのだが、リアルな道のりだけでなく、僕の頭の中までも真っ暗になってしまったのである。それで、次の日も正直、頭が黒く塗りつぶされて、心身共衰弱した状態で、吉本新喜劇なんていうものを見る気さえなかった。でも、実際観てみると、笑えるものなんですね。どんなに落ち込んでいても、場の空気と演劇の面白さで思わず口元が緩んでしまい、気がつけば笑顔になっていた。吉本の偉大さを感じた瞬間であった。

 

そんなこんなで飲み会が終わった後に色々反省することが多い飲み会であった。でも、面白い話ができるかできないかって誰と話するかにも依るように思える。

同期による送別会

が昨晩行われた。場所は天王寺のちび助という餃子を売りにしている居酒屋。ごちそうビルの3階にある。

時間は食べ飲み放題で2時間。値段はよくわからない。主賓故の特権か。と思いきや、各自の費用が書かれたメールが飛んできて驚いた。そもそもそういうメールは主賓には送らないのが普通だというのは僕の偏った考えなのか。更に言えば、送別会に何人参加する由の内容まで書かれているではないか。正直、呆れて物が言えなかった。最後の最後だし、一言文句を言ってやろうと思ったりもしたが、せっかく年度始まりのクソ忙しい時期に幹事をして頂いていることを踏まえるとそこまで言う気にはなれなかった。これも人情というものか。

文句と言えば、僕は同期が幹事をする度に言っていたように思う。このタイミングでこれを言うのはマズいんじゃないのとか。詳しい内容は忘れてしまったが、そんなこんなで同期には何かとキツく当たっていたように思う。でも、言い訳をさせてもらうと見るに堪えないような対応がしばしばあったからだ。例えば、飲み会の時間ギリギリなのに呑気に風呂入っていくとか、値段や場所すらもメールで教えてくれなかったりとか。なんというか、最低限の気配りができていないと思うことがしばしばあった。ここはおもてなしの国日本ではないのだろうかと疑う程である。それで、僕が飲み会に関わる度に文句ばっかり言っているので、そんな僕自身に嫌気が刺してしまったため、同期会にはここ1年くらい前から参加しなくなった。周りは参加して欲しいとか言ってたのと裏腹にである。

なので、今回の同期会は僕にとっては1年ぶりなのである。1年ぶりであるから、多少なりとも緊張した。何を話せばいいものか。どういう風な形で話が展開されていくのか。全く読めない未知に溢れた感じが余計に緊張を加速させた。

その前までは、僕はスターバックスで優雅にアイスティー(パッション味)なるものを飲んで、優雅に本を読みながら過ごしていたわけだが、飲み会の時間が近づくにつれ緊張感が高まる。

https://www.instagram.com/p/BSk2eA_hYAO/

アイスティーのパッション。紅茶とは程遠い色味に驚かされる。#starbucks #icetea

まず、時間ギリギリに行くべきなのか、そうでないのか。主賓だったら、時間ギリギリに来ても別に構わないだろうとは思ってはいたが、何だかそれだと落ち着かないので、結局10分前くらいに居酒屋に行った。

こういう時の心理って、よく部活の集合に例えられることが多い。集合時間ギリギリに来るタイプか時間に余裕を持って集合するタイプか。僕は断然後者である。なぜなら、遅刻してシバかれるのが怖いからである。中には、時間に余裕を持って来すぎた時にコンビニとかで立ち読みして時間を潰してしまい、結果、集合時間を過ぎてしまうことがあると答えた人もいた。中々のツワモノだなと思ってしまった。

それで、少し余裕を持って、居酒屋にたどり着くと結構時間に間に合わせるかのごとく人が集まってきた。全員で僕を除いて8人くらいか。本当は、もうちょっと来る予定だったが、子守やら親が来ているからといった理由でキャンセルが出たとのことで、全員が集まれば、10人は超えていたのではなかろうか。ちなみに、関西圏にいる同期としては、全員で16人いる。その内、8人が来てくれたというあたりが僕の人望なのだろう。16人中8人という数字を見て、人望があるかないかは皆さまの判断に任せることにする。

飲み会が始まって、腹が減っていたためか、各々食い放題であることを良いことにガンガンメニューを頼んでいく。唐揚げやら餃子やら春巻きやら…。ここの店は店名に「餃子工房」とあることから餃子を押しているお店なのだが、幹事曰くは餃子はあまり美味しくないとのこと。なんと身も蓋もないことを言うのだろうか。しかし、いざテーブルに並べられると案外美味しく感じた。食い放題で実際どれくらいの値段かは定かではないが(恐らく3500円くらい)、店内の雰囲気からして納得の味とクオリティに感じた。別にマズイというわけではない。ただ、サントリーモルツのアテとしてはぴったりだなとは感じた。

それで、話の方だが、当然のことながらカナダにワーホリに行く理由を聞かれたわけである。僕自身、この手の質問は嫌というほどされており、かなり辟易としており、しかもどんな回答をしても相手が納得することがなかったので、正直あまり真面目に答える気がなかった。だから、「遊びに行く」と端的な目的でその場をしのぎきろうとした。しかし、それでも質問攻めである。貯金がナンボだの、向こう行ってから働かんとマズイんじゃなかろうかだの、住むところはあるのかだの…。はっきり言って尋問の類である。こんな会話じゃ、酒がマズくなること間違いなしである。無論、僕のお酒がみるみるうちにマズくなっていくのを舌で感じた。しかし、それでも適当にかつリアルな話を含めて、答えたことは答えた。

それ以外であれば、仕事の話だの嫌いな上司がいなかったのかだの、職場が嫌ではなかったのかだの、ネガティブな話題ばっかり振られた。でも、それで周りが美味しく酒が飲めるのであれば、致し方なしと思い、割り切って話を続けた。ただ、嫌いな上司の話をした時に周りからすれば意外な人の名前を僕が言ったので、周りがドン引きしており、その時はさすがに場の空気がおかしなことになったが。

そんなこんなでくだらない話を延々とちびすけで続け、二次会はとあるバーに行った。そこで、僕はこれでもかというくらいワインを飲まされた。とは言え、3杯程であるが。これ以上飲もうと思えば飲めたが、さすがにお金の心配があったので、変に遠慮してしまった。飲んで酔ったとしても最低限の思慮分別できるだけの脳は残っているのである。本当は、昼間に観た「夜は短し歩けよ乙女」に出てくる黒髪の乙女みたく、ワインを景気良くカッポカッポと飲みたかった。それにしても、あんなに景気良く飲んでも顔が一切赤くならない黒髪の乙女が羨ましい限りである。

それで、二次会も終わり、酔って意識が朦朧となりつつも電車に乗り、家路についた。僕はこのブログで何回も書いている通り、飲むと眠くなる体質なのである。しかも、睡魔については遅効性のものなのでかなりタチが悪い。

別れ際に来てくれてありがとうと言うことで、それぞれに握手をしたことは覚えてはいるが、それ以上のことは覚えていなかった。どんな会話をしたのかも定かではなかった。日本に帰ってきてからまた、会おうぜ的なことを言ったような言わなかったような。まぁ、でも、そういうことを言っても、もう同期と会うこともないし、同期会とか開くこともないのだろう。なぜなら、やっぱり僕は同期のことがあまり好きじゃないからである。この日にしても、結局最後まで気持ち良くお酒を飲むことはなかったですから。それでも、会うことがあれば、「これも、ご縁ですね。」って言って、一緒に飲むことになるのだろうか。

同期に対していつまでたっても好きになれない気持ちを抱えたまま天王寺の街を後にした。

夜は短し歩けよ乙女

を観に行った。

http://kurokaminootome.com

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感想を率直に言うと、めちゃくちゃ面白かった。

内容は森見ワールドというか四畳半神話体系をそのまま映画化したような世界観で、四畳半神話体系のアニメがものすごく好きになった僕としては期待を裏切らなかった内容だった。正直、この日の前に予習がてら2、3日かけてNetflixでまとめ観をしてよかったなと我ながら思った。

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それにしても、四畳半神話体系と言い、夜は短し歩けよ乙女と言い、監督並びに制作関係者そして、著者といい揃いも揃って変態の集まりなのではないかと思ってしまう。どうやったら、ああいう言葉が出てくるのだろうか。そして、どうやったらああいうナレーションに合わせた映像表現ができるのだろうか。正に変態と変態の共演である。それくらい、ある種の変態である私としては見ていて、すごく楽しかったし、思わずクスりとしてしまうシーンがしばしばあった。

そして、私が陣取った席であるが、とは言え、当日券で買って入場したわけなので、陣取っても何でもないのだが、中央部からやや左側の席を取った。理由は観やすい場所であるということと、両側の席が空いていたからである。

両脇に誰かががいると妙に気持ち悪い。男性諸君ならわかるかと思うが、男子トイレで小をしていた時に、両脇を挟まれるあの感覚である。大の大人二人に挟まれる圧迫感とあわや一物を見られているんじゃなかろうかというあの少し恥じらいがあるあの感覚。あの感覚がものすごく嫌なのである。だから、僕は公衆のトイレで小をする時は、絶対に端っこですると決めている。というか、自然と端っこに引き寄せられていると言った方が正しいか。

そして、今日もいつものように周りから圧迫を受けないよう両サイドが空いている席を取ったわけなのだが、かなり後悔した。なぜなら、左サイドの空いたすぐ隣の大学生くらいの女の子が座っていたからである。この時間に映画を観るということはこの映画を観るためにわざわざ有給を取って休んでいる会社員かそれとも同じ理由で時間を持て余しかつこの映画を待ち望んでいた大学生かのどちらかである。残念ながら、この映画の主人公である黒髪の乙女のごとく黒くなく、むしろ明るめに染められている髪、そして髪の毛が少し傷んでいるようなところ観ると恐らく後者なのだろう。

この映画を公開初日に観るとはこの女の子、かたや文学少女と思われるような外観とは裏腹に結構な変態かと思うと、惚れてしまいそうになる。やっぱり同じ趣味嗜好を持つ人って自然と惹かれてしまうのである。ましてや、僕は無類の変態好きである。というか、普通の女の子らしい女の子があまり好きではないのである。何か、僕の中の女の子像というか世間一般で言う女の子像を見事に裏切ってくれている女の子。そんな子に惚れてしまう傾向がある。なぜなら、そういう女の子の方が話していて、楽しいし、飽きもしないだろうと思うからである。

だからその女の子に、「これも何かのご縁ですね。」っていう映画の名セリフを言って、話しかけようかと思ったが、映画館を間違えたため、走って公演されている映画館まで駆けつけたことによる疲労感のためそこまで頭が回らなかった。仮に、頭が回ったとして声をかけてどうなるというのか。「友達から始めませんか。」と言っても、あと一週間もすれば国外へ旅立つ身としては、話すこともやぶさかにならない。こうやって僕は機会を失っていくのだろうと思ったりもする。しかし、これは栄光ある撤退なのだ。そして、英断なのだ。お互いが傷つかないための。そんなみみっちいことを思いながら、大きなスクリーンに目を移し、巡るめく変態活劇に集中をした。

でも、異国の地で会うことがあれば、その時こそこのセリフを言うことにしよう。「これも何かのご縁ですね。」と。

ちなみに、「四畳半神話体系」にしろ、この「夜は短し歩けよ乙女」にしろ、話の舞台は京都なのである。京都というと、舞妓はんに見られるようにはんなりしていて、お上品な歴史の教科書に出てくるような世界観で、短歌とか俳句を嗜んでいる貴族の街なのではないかと思ってしまう方がいるかもしれないが、現実はそうでもないし、これらの話の世界もそうではない。一言で言うと、イメージとは裏腹に変態の集まりなのである。原作者である森見登美彦先生がどこの出身かはわからないが、京都の学生というものを上手く表現しているなと感嘆してしまった。あのわけわからない発想、喜劇活劇、世界観は見事だったと思う。

僕は、学生時代体育会系の端くれだったので、他大学と交流試合をしたことがあったのだが、その中でかの某有名大学とも交流があった。それで、試合の後の宴会の席となると、脱げば全て済まされるというのが伝統なのかわからないが、とにかく裸芸を毎年見せられた。毎年なので4回もである。さすがに、4回も見せられると男からすれば、飽きてしまうものである。でも、裸芸をしている側からすれば、女の子に見られているという興奮で精神が高揚しているかもしれなかった。そして、その高揚したエネルギーを勉学に注ぎ込まれると思うとなるとやるせなくなる。あぁ、勉強し過ぎてしまうと、そこまで頭がぶっ飛んでしまうのかと思わざるを得なかった。

でも、それくらい理性をぶっ飛ばして、弾け飛べるような学生生活を送れていることに少し羨ましさを感じた。そして、この映画を観ている時も思わず京都で1年でもいいから学生生活を送ってみたいと思った程である。

それくらい変態にまみれたような内容の映画であったが、そんな変態にまみれた京都が変に好きになってしまう。そんな映画だった。また、見てみたい映画だし、森見先生の他の著書もアニメ化や映画化して欲しいなと率直に思ってしまった。

あと、黒髪の乙女の役柄を見事に演じた花澤香奈さんの声は本当に可愛かった。先輩が恋に落ちてしまうのも無理はない。あの声を独り占めできる某声優さんが羨ましい限りである。

朝8時前

に目が覚めて。平日のこの時間、働いていた時では考えられない時間である。ぐっすり寝れたのかって思う方もいらっしゃるかもしれないが、安心してください。ちゃんと4時半に一旦起きましたよ。そこから、布団の誘惑に負けて二度寝をした結果、8時前まで寝てしまったというわけである。ちなみに、昨日寝たのが、9時過ぎくらいだったので、約11時間くらい寝たことになる。でも、寝起きはあまり良くなく、疲れは相変わらず溜まっている状態だった。何なのだろうか、この状態は。ここ最近、ずっとこんな状態が続いている。寝ても寝ても疲れが取れない。もしかしたら、体になんかしらの異変をきたしているのではないかと思ってしまうほどである。よく25歳を過ぎたあたりから体が疲れやすくなるっていう話を聞くが、すごく納得する。25歳過ぎたあたりから、学生時代に体育会の練習をした後とは違った慢性的な疲れを感じるようになったからである。これからというか、今まさに社会人になったばかりの方々は覚悟した方がいいと思う。25歳からドッと疲れが溜まりやすくなるから。

それで、目が覚めて、一人暮らしの時に余っていたシリアルを食べようかと冷蔵庫の中にある牛乳に手を伸ばしたが、肝心の牛乳がない。どうやら、買い物の時に買いそびれたとのことだった。結局、僕は白米と昨日の晩飯の残り物である生えびをおかずにしてご飯をかきこんだ。あとは、ポテトサラダを少々。

このブログを書いているのが晩の9時くらいなのだが、朝ごはんでさえ、思い出すのが危うくなっている。もしかして、若年性認知症ではないのかと疑われる程である。かといって、頭を使わずにのほほんとニート生活を送っているわけでは断じてない。朝起きて、News Picksというアプリでニュース記事を見たり、読書をしたりしているわけだから。若年性認知症が危ぶまれる症状が出ているのは仕事をしていた時からだったかもしれない。あの時から、結構物忘れが激しかったような気がする。ストレスが原因なのか、仕事がありすぎることが原因なのかは定かではないが。でも、こんな症状が出ているような状態でも支障なく仕事ができて、結果オーライだったのではないかと思う。

そして、午前中はNews Picksで記事を見てからは、一人暮らしの時に買い込んだ本の整理をした。整理をしたと聞くと、すごいいい表現に聞こえて、アレなのだが、実際は無理やり本棚の空きスペースに本をぶち込んだだけなのである。だから、そこまで高尚な行為をしたという自覚もないし、そう思われることが心外である。なぜ、本の整理一つでここまで必死になって弁明をしているのかがよくわからないが、とりあえず、本を本棚の空きスペースにぶち込んだのだ。ただ、それだけである。

それにしても、一人暮らしの間に買った本の数はざっと100冊くらいあったから驚いた。もちろん漫画も含めてである。僕はレアジョブの英会話教師には趣味として読書を公表しているくらいだから、一応本は人よりは読んでいる。冊数でいうと、月平均3冊くらいは読んでいたと思う。昨今言われている若者の読書離れを食い止めるかのごとくである。でも、それも仕事でストレスが溜まるなり、疲れてくるとビタッと止まってしまった時もあった。やはり、そういう状態になると知的活動をなるべく避けるようになる傾向が人間にはあると思う。これは、是非とも脳科学者には証明して欲しい分野であはあるが、未だにそういったことが書かれている書籍とは出会ったことがない。もしくは、出会ったことがあるが、頭にまったく入ってきていないかのどちらかであろう。恐らく、後者だとは思う。

そして、本のぶち込みという作業が終わり昼になったので、昼飯を食べ、午後からは筋トレをすべく一人暮らしの時の行きつけのジムで汗を流した。一人暮らしを辞めた時点でジムの契約も解約したのではないかと思われた方がいらっしゃるかもしれないが、残念ながら契約は今月末まで続いているのである。解約したいという由を3月上旬に言ったにも関わらずである。中々ふてぶてしいジムだなと思いつつも利用できるものは利用しなくては損だと思い、片道約1時間もかけて、行きつけのジムまで足を運んだわけである。

今日は、少し蒸し暑く、パーカーの上にダウンベスト着ていたのだが、それでも暑いくらいだった。ジムに行くまでに少し汗をかいてしまった。ジムについても、冒頭に書いた通り心なしか体調が優れない。慢性的に疲れている状態。こういう時に筋トレをしても、返って疲れるだけではなかろうか。何なら、この片道1時間という時間と労力を返してくれと思ってしまうほどである。しかし、筋トレを始めると、思った以上に数値が伸びたので驚いた。ベンチプレスであれば、自己最高である100kg6回も持ち上がった。いい数値が出ると、思わず気分は向上してしまうものである。その他の種目でもけっこういい数値が出て、自分としては久しぶりに筋トレをしていて気分がよくなった。ついでに、いい汗もかけたので気分は益々良くなった。やはり、行動をしてみて変わることってよくあるんだなと思った。やっていくうちに気分が変わっていく。そんなことが往々してあるのがこの世の中なのである。精神に動かされているのか、体が精神を突き動かしているのか…。よくわからない感覚であったが、こんな感覚も悪くはない。

この調子で明日は、早起きしてジョギングをしようかと思う。ちなみに、ジョギングをするのは半年くらいになるのだろうか。昨年の10月に鴨川のハーフマラソンに参加して以来である。鴨川のハーフマラソンの時は、正直、地獄を見ました。沿道でかけて頂いた黄色い声援でさえも煩わしいと思ってしまう程であった。それ以来のジョギングである。別にそのことがきっかけでジョギングから足を引いたというわけではなく、単に不眠症がひどくなったため、走ることよりも疲れを取ることを優先した結果である。要は、守りに入っていたのである、情けないことに。

でも、朝起きて走るとより疲れが吹き飛んだ爽やかなジャニーズアイドルのような状態になれるかもしれない。もしくは、福士蒼汰とかああいう爽やか系俳優みたいな状態になれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、明日は朝早くからジョギングをしようかと思う。