あつなりのそれでもブログを書いている

※カナダはトロントにてワーキングホリデー中でございます。参考にして頂けると幸いです。

準確定申告

というものを先程、行ってきた。準確定申告と言うのは、噛み砕いて言えば、今年の年収はこれくらいだから、納めた税金もこれだけですと税務署に申告することである。一般企業にお勤めの方は年末調整がそれに当たる。一応、納税が国民の義務となっているので、義務を果たすべく、税金を申告したというわけである。

すると、どうか。なんと、納めた税金がそっくりそのまま返ってきたではないか。曰くは、今年の年収が所得税の控除額を下回っていたので、納めた分がそのままお返しするということであった。

これは、有難い。正直、申告するだけで、お金は取られはするものの返ってくるなんて夢にも思っていなかったからである。臨時収入とは正にこのことである。ただ、この臨時収入も昨年分の市民税の納付で全て消えてしまうのだが。これも、国民の義務と思って腹をくくるしかないのである。結局、会社を辞めたところで取られるものは取られるのである。でも、これからワーホリを考えている方がいらっしゃったら、絶対に税務署に行って、準確定申告はしておいた方が良い。今回のケースのようにお金が返ってくる場合が多いからである。

税務署にて還付を受ける前、僕は家族と共に100円寿司を食べに行った。名前はスシロー。あの大手チェーンの一角を担っているスシローである。とは言え、先日、春駒で回らない寿司を経験している間もない身としてはクオリティに満足などするはずもなかった。

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写真のものでまだマシな大きさのものであるが、大概がネタが小さくシャリでカロリーを稼いでいるものばかりであった。まるで、しょうもないトークで尺を稼いでいる某バラエティ番組かのごとくである。

でも、とは言え、寿司は寿司である。海外に行ってからは、寿司を食べる機会が皆無になることを考えると、例え100円寿司とは言え、色々なものを噛み締めて食べないといけないと変に意気込んで食べた。

久しぶりに食べてみると、100円という枠組みながらもその中で足掻いて、工夫してネタを創作しているという感じは伝わった。でも、今や100円という枠組みに限界を感じたのか、一皿280円とか、もはやコンセプト総崩れのようなネタも提供されていたので、生き残りは難しいんだろうなと思った。さすがに、親の金で寿司を食べているので、そこまで食べると申し訳ない気持ちで喉が詰まりそうになったので、頼みはしなかったが。

親に申し訳ないと言えば、今の状況が随分と息苦しい。実家に帰ってきて、衣食住が確保されているニート生活に何の息苦しさを感じるの?と思われる方がいるかもしれない。でも、本当に息苦しい。何がというと、無償でそういう世話を受けていることに対してである。

ある心理学実験でこういうものがある。あるサービスを受けて、そのサービスに対して、任意の値段を支払ってくださいというものである。この実験のミソは任意というところである。任意なので、支払わないという選択も可能なのである。すると、どうか。大概の人はある一定の金額を支払うのである、タダでも良いのにも関わらず。人間というものは元々性善説みたいな形で作られているのではないかと思ってしまうほどである。

これと同じことで。無償でサービスを受けていることに気持ち悪さを感じているのである。だから、寿司代も自分の分は自分で払おうかとお金を差し出したのだが、断られた。親というものはそういうものなのか。結局、申し訳ない気持ちを内に秘めながら回る寿司屋を後にした。

あと、実家にいると妙な気持ち悪さに襲われる。元々親の小言とかそういうのが嫌いで一人暮らしを始めたのだが、その嫌と思っていたことがドッと襲いかかってきているのである。

例えば、衣類をとっても管理がし辛い。親が勝手に洗濯してくれるのは有り難いのだが、洗濯した後の管理が行き渡っていないため、選択してもらった衣類が行方不明になることもしばしば。そのため、衣類を探すのに余計な時間を取られてしまっているのである。

あとは、親の小言。うちの両親は仲が悪いため、一緒の部屋に入れば、大概口喧嘩が勃発している。桜島の噴火よりも頻度が多いんじゃないかと思うほどである。それくらいの頻度で細かい噴火を繰り返されたら、聞いている側はイライラして仕方がないのである。更に悪いことに、八つ当たりかのごとく、そこで募ったイライラを僕に小言という形でぶつけてくるのである。イライラと居心地の悪さのダブルパンチである。「夜は短し歩けよ乙女」に出てくる黒髪の乙女の猫パンチみたく可愛らしいものなら、受けがいがあるというものであるが、残念ながらそこまで優しいものではない。むしろ、真綿で首を絞めるかのごとくじわじわ来る類のものだからかなりタチが悪い。もはや、殴るの話ではなくプロレスの話になっているが。

でも、トータルで考えても実家暮らしをこれ以上続けると精神衛生上悪い。よく、会社を辞めて実家でゆっくりするという話を聞くが、本当にゆっくりできているのかと思う。ここで言う居心地の悪さと言うものは感じないのだろうか。僕は、約10日で限界に達しつつある。だから、今日の晩御飯はあえて外食しようかと思う。無償で世話になっている関係が気持ち悪くてしょうがないからである。

実家暮らしで社会人やっていて、家にお金を納めないっていうケースをよく聞いたことがあったが、居心地の悪さとか罪悪感とかそういうのって無かったのかなと思う。先程の心理学実験の例でもそうだが、人間元来無償でサービスを受けることに罪悪感を感じるの生き物なので、そういう心理って働かないものなのかなって思ってしまう。そこまで、親に依存して逆に気持ち悪くならないのかと思ってしまう。でも、そういう人は結局は何かに依存しっぱなしの人生を送ってしまうものなのかなと思ったりもする。そこには「自由」がないんだろうなと変に哀れんだりもしてしまう。

僕の今の無職で海外に行く身分をどう思うかは知らないが、会社員とか実家暮らしとかで何かに依存し続ける人生なんてみすぼらしいなって思う。こちらの行動を嘲笑う前に自分たちはどうなのかって本気で考えた方が良いと思う。とは言え、向き合った結果、満足しているのであれば、それはそれで尊重はするが。でも、僕は耐えきれない。だから、社会人になってから早々に一人暮らしを自費で始めたわけだし、今回みたく会社を辞めて、海外に行きたいというドン・キホーテみたいなことをする次第である。ちなみに、社会人になってから早々の一人暮らしは上司、同期も含めてかなり懐疑的に見られていたのだが、それも今となれば懐かしい。周りから理解されにくい生き方をしているなと自分のある種自虐的な行動に満足感を抱いていたほどである。

さて。実家にいるのが嫌だから、今晩はファミレスで読書をしながら時間を潰すとしよう。何だか、中学生の反抗期みたいな行動だなと我ながら思ってしまう。ネオニートの生き方と言うべきか。いずれにしろ、実家にいると息が詰まりそうになるから、美味しい空気を吸いに行くというか、今もマクドナルドで吸いながら、ブログを書いている。

 

はたから見れば、僕はどういう風に映っているのだろうか。