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あつなりのそれでもブログを書いている

※カナダはトロントにてワーキングホリデー中でございます。参考にして頂けると幸いです。

バイクの買取と希望と不安

を抱いた1日でした。

そして、今日は僕の母方の祖母の誕生日でした。齢97歳になったとのこと。いとこも駆けつけて、軽く昼ごはんも出前を取って、プチ贅沢でささやかにお祝いをしました。でも、いとこが「100歳まで生きてや。」っていう一言に対して、「早くあの世に逝きたい。」って祖母が哀しげに返事をしていたので、少し聞いてる側としては寂しくなりました。

母曰くは、体を弱らせて、座るのもしんどくなり、節々を痛ませて苦痛に顔を歪ませながら生活をするのは大変苦しいので、そう思うのも無理はないとのことだった。残酷な話だが本当にそう思ってしまう。

安楽死については、今でもお偉いさんで議論が繰り広げられているであろうが、こういう風に考える高齢者が後を絶たないので認めてあげたらいいのではないかと思う。そりゃ、10代、20代とか人生をよくわかってない若者が死にたいと喚くのは全力で止めるべきですし、安楽死を認める自体論外だとは思うが、ここまで長く生きた高齢者であれば、その権利があるとすれば、行使してもよいと思う。それこそ、最新の医療技術で高い金と技術を使って、長く生きさせるというのは医療従事者のエゴとしか思えない。それで、諸外国に日本の医療技術と寿命の長さを誇りに思うのであれば、どこか違う気がする。治る余地があるのであれば、治療を続けてもよいとは思うが、実際問題、現状維持というケースが多いのであろう。だったら、生きることに希望を見出せず、死にたいと思うのであれば、死なせてあげてもよいのではないかと、祖母を見ながら思った。

僕が日本に帰ってくる頃まで、生きているのであろうか。

ひ孫の顔は見せられそうにない。そのことについては、申し訳なく思う。

昼食後、バイクの買取屋が来て、買取をして頂いた。所要時間は1時間程と説明を受けた時、マジかと思ったが、それだけ丁寧に査定するとそれくらい時間がかかるのだろうと後々納得した。

来て最初、いかにもバイクを積みますよっていうごとくの4.5tトラックを引き連れてやってきた。その仰々しい姿を見た時、ああこの2年半の間苦楽を共にしたバイクとお別れするんだと、変に寂しさが後を引いてしまった。

会社を辞める時もそうであるが、自分の身の一部みたいな存在を失うとやはり人というのは心が痛むものだとしみじみと思ってしまった。

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そして、いざ査定が始まると食い入るかのごとく僕のバイクをまざまざと見始めた。その姿はかの名探偵コナンも顔負けである。そうして、探偵が注意深くバイクを観察する中で、僕はさも容疑者のように立ちすくんでいた。何かやましいことはないか。査定に響くような変なことはしていないか。この姿も容疑者X顔負けである。

しかし、そのような僕の期待とは裏腹に色々ご指摘を受けた。まず、最初「一回転倒したことありますね。」とご指摘を受けた。だが、僕は転倒をした覚えがないのだ。痴呆症でそういう都合の悪いことをど忘れしているとかそういうわけではなく、本当に転倒などしていないのだ。そこで、理由を聞いてみると、転倒した時の傷を補修した跡や、グリップのあたりが転倒したことにより一部取れかかっているとか、そういう転倒したと思わしき証拠を数多くの刻んでいたのであった。

これには、少し驚いた。恐らくは、前のオーナーがしてがした傷なのだろう。しかし、そのことについて説明を受けた記憶があまりない。多分、受けたのであろうが、そんなどうでもいいような話は遥か彼方に追いやってしまったのである。買った当初は、とにかく動く125CC、しかも安い機種を探していたので、それ以外の情報は度外視していたのである。だから、そんな記憶はとうの昔に忘れてしまったのであるが、まさか、いざ買い取ってもらうとなって響くとは思ってもみなかった。まるで、忘れた頃に飛んでくる猫パンチである。そこまで、可愛くもないが。

他にも、給油口のあたりが汚れていたり、ダッシュボートのあたりが色あせていたりと、不具合が出るわ出るわのオンパレードであった。やはり、容疑者Xは容疑を隠し通すことができなかったのである。そして、それをつつがなく見破る名探偵コナンも流石である。なんだか、僕のドナドナのごとく買い取られていくであろうシグナスもどこか不安げというか寂しげに写ってしまった。

その後、査定の結果の話に入ったのだが、いかんせん勿体振るのである。中々、金額を言わない。実際のコナンくんは証拠とか包み隠さず、ストレートに言ってくれるのに。とは言え、話のやり取りとかでなんとなく想像はついていた。

どうやら、買取ではないなと。こちらが、お金を払って引き取るパターンになるのではないかと。

僕の予感は的中した。バイクの状態からして、お金を払う羽目になってしまった。さすがに、買取でいくらかお金が返ってくることを期待している客に対して、まさかお金を払ってくださいなんて言えるわけもなく。だから、ここまでもったいぶったと思われる。

お金を払うことになって、買取員の説明に妙に納得してしまったため、別になんの疑念もなく引き取り価格である1万5千円を支払った。この辺はいさぎのよい容疑者Xなのである。

僕個人としては、きちんと説明をして頂き、自分に落ち度があると納得できれば、自分が損する話であっても晴れやかな気持ちで損を受け入れている感じがする。その辺り変に善人ぶっているのかもしれない。かといって、ここで駄々をこねても何の得にもならないし、むしろ時間の無駄であるというのが本音ではある。

無事引き取りが終わり片田舎には轟々しい4.5tトラックが足早に次の取引先へと向かった後に、僕は荷造りと進めた。昨日の状態からビジネススーツとか革靴とかその他諸々を詰め込んだのだが、案外余裕があった。

恐らく、僕みたいに趣味目的(バスケとランニングと筋トレ)があって、ワーホリに行く人は荷物が多くなる傾向にあると思う。それこそ、単に語学目的でワーホリに行くのであれば、130リットルのスーツケース一つで十分すぎるくらいである。本当に無趣味の人のスーツケースの中身が見たいほどである。でも、裏を返せば、それだけ夢や希望でスーツケースやカバンを喜ばせるほど、パンパンにしてると言えそうである。

とは言え、荷造りが進みにつれ不安も徐々に背中から忍び寄ってくるのも事実である。異国の地で生活をするのだ。まずは、きちんと入国できるだろうか。ホームステイ先で受け入れてもらえるだろうか。友人ができるだろうか。語学学校の授業にきちんとついていけるだろうか。バスケはできるだろうか。可愛い金髪美女と付き合えるだろうか。等々。ここで書いた不安だけでも結構クルものがある。それ以外にも言葉で言い表せないなんなとなく漠然と存在しているような不安もある。

でも、そういった不安というか非日常を体験したくわざわざ会社を辞めたのであるから、こういう出発前夜の不安でさえも経験であり、財産であると割り切るしかない。そう考えると人とは違った経験をしている自分を褒めたたえたくなるから不思議なものである。むしろ、無理やりこう思わないとやっていけないというのも事実である。

今日、きちんと寝れるかな。まるで、遠足や修学旅行前日の小学生の気分である。寝坊はしないであろうが、まずは寝れるかどうか。ここから戦いが始まっているように思えた。