あつなりのそれでもブログを書いている

※カナダはトロントにてワーキングホリデー中でございます。参考にして頂けると幸いです。

カカオトーク

でようやく友達申請第一号ができました。本当にぼっちがする話である。別にいいけど。ぼっち臭が漂っていることについては否定しないからである。

韓国人の誰かが連絡取りたいって言ってきた時に備えてインストールして良かったのである。

ちなみに、カカオトークとは日本でいうLINEのようなものである。というかLINEと瓜二つである。アジアでは台湾を始め、結構LINEがコミュニケーションツールとして浸透しているが、韓国だけは敵対意識を燃やしているかどうか定かではないが、カカオトークが独自のコミュニケーションツールとして台頭しているのである。

話を戻して、最初は僕の連絡先をフェイスブックで検索したのである。国際的なSNS

と言えば、未だにFacebookが確固たる地位を築いているようである。しかし、ここで残念なことがあった。それは、Facebookのアカウントを一旦消していることである。以前は、頻繁にFacebookを利用していたが、ある一時のSNS疲れのブームに乗っかり、断捨離の一環として、Facebookのアカウントを消してしまったのである。

それで、最近になって、エージェントのサービスを利用するにあたり、Facebookで連絡を取らないといけない由の話を聞いたので、渋々再度インストールしたのである。でなければ、Facebookに手を出すことは二度となかったように思える。

Facebookの何がいけないかと言うと、やはり仲の良い友達、そうでない友達と一緒くたにして情報を共有するところである。これが非常にまどろっこしかった。投稿一つにしても、さほど仲の良くない友達の投稿を見ても、大して興味も湧かないし、まして、「いいね」ボタンなんて押す気もならないのである。こちらが投稿しても、どれだけ「いいね」ボタンが押されたかを注視してしまい、そこばかりに目が向いてしまうの嫌だったし、その数を他人の投稿と比較するのも嫌だった。どれだけの人がこの「いいね」ボタンの動向に影響されていたことか。

あと、投稿における所謂リア充自慢も嫌いだった。大体、SNSにおける投稿ってこの手の性質を帯びるものだと思う。投稿するということは、何かをPRしたいからするのだろう。それが過剰になってしまうと、見るに堪えなくなるし、そうなる自分も嫌である。

以上のような理由から今ではSNSとはかなりドライな付き合い方をしているのである。本当に連絡を取るだけの手段。それ以上でもそれ以下でもない。それが僕のSNSにおけるスタンスである。ただ、このブログでもそうであるが、不特定多数に大して投稿するということは頻繁に行っている。知人とか相手だと、人間が生来持つ嫌らしい部分が垣間見えてしまうが、不特定多数だとそういう部分が表に出ないものだと思う。不特定多数に自慢をしても…という話である。かと言って、自分の活動の備忘録というか、記録として色んな人に知ってもらいたい。そうした考えから、不特定多数相手に対してでは、投稿を結構な頻度で行っていたりするのである。

それでも、さすがにFacebookで僕の名前を検索された時に、友達の数が2人しかいないというのが知られた時は、少し傷ついた…。