あつなりの車窓から

※カナダはトロントで1年間ワーホリで過ごした後、オーストラリアのシドニーにてワーキングホリデー中でございます。ブログを書いている内に「車窓」っていう言葉がぴったりだと思ったので、タイトルにしてみました。この「車窓」は中々に面白い…のかなぁ。

人見知り

僕は、中々の人見知りであると自覚している。最低限、挨拶をされたらし返すくらいはするのだが、必要がなければ、極力こちらから赤の他人に話すことはほぼない。道に迷った時も、その辺に歩いている人には聞かず、グーグルマップか、最悪コンビニを使う。とにかく、赤の他人とコミュニケーションを取るのが苦手な人種のようなのである。できれば、避けたい。しかし、そんな人見知りの僕も就活中は積極的だった。隣に座っている大学生に積極的に話しかけていたように思う。特に、女子大生が隣だった時のテンションが上がって、イキイキしている様はさも変態のようである。一つだけ言っておく。決して、おまわりには通報しないでいただきたい。

人見知りが故に、学校とかではあまりにも友達ができなかった。特に塾ではひどかった。もう、全くと言っていいほどしゃべっていなかったと思う。それ故、休み時間とかは苦痛で仕方がなかった。狸寝入りをしているか、意味もなくトイレに行っているか、あとは、定期テストの結果を一人で眺めているかしかしていなかった。他人との関わりは皆無なのである。これは、同情ポイントを集めるとかそういうのではなく、マジな話である。

そんな極度の人見知り野郎が、今や海外に来て、ワーホリしているなんて人生わからないものだなと我ながら思ってしまう。

でも、こっちの人、少なくともトロントの住民たちは全然そんなことはない。こちらが英語ができようができまいが容赦なく喋りかけてくる。道を歩いていると、道を聞かれることはしょっちゅう。中国人と間違われても、結局、英語で聞いてくる。そこは、あきらめてくれよとマジで思った。筋トレしている時も、器具をシェアしないかとか、今や今かと待ち構えている人が終わったかどうかを確認してきたり、とにかく、喋りかけてくる。思うに、自分の都合となると、人見知りとかそんなことは考えないように思われる。なるほど、合理的といえば、合理的である。いちいち順番待ちをして、時間を無駄にするよりはよっぽどいいように思う。しかも、すごいのが、英語をしゃべれるしゃべれない関係なく話しかけてくるところである。こっちの人が日本人に対して、どういうイメージを持っているか知らないが、英語ができない民族だというのはなんとなくわかるところではないのだろうか。しかも、いかにも日本っぽいファッションをしているので、少なくともこっちの人ではないということはわかるはずである。にも関わらず、話しかけてくる。察してくれよとか思ったりもする。いい意味でアクティブ、悪い意味で空気が読めない。

その傾向はバスケをしている時にも起こる。こっちの人とプレーしていると大概スタンドプレーに走ることが多い。メンバーの中で一番上手い奴がスタンドプレーをするのであれば、納得するのだが、大して上手くない奴のスタンドプレー程腹ただしいものはない。しかも、ミスしてボールを取られても、それでも仕掛けにいこうとするし。アグレッシブと言えば、褒め言葉であるが、どう考えても空気を読めてないとしか思えない。しかも、遊びではなく、ガチめなゲームであるにも関わらずである。たまに、頭がぶっ飛んでいるんじゃないかと思ったり、チームプレーに徹している自分がバカバカしいと思ったりもする。

海外の人(特にアメリカ)はディベートとかで積極的に自分の意見を述べる文化であるということは、みなさんも聞いたことがあるかもしれないが、何でも積極的になればいいっていうものではない。時には、空気を読むことも大事なんだなというのは、こっちに住んでからわかったことであり、そう考えると日本人同士のコミュニケーションって中々に高度なものであり、日本人からすれば、心地良いものだなと妙な気分になった。でも、日本では、空気を読みすぎる感があって、それが逆に問題になっていたりする。空気を読みつつ、時にはアグレッシブになる。バランス良くすることが大事かなと思う。

あと、余談だが、大学の先輩でSKYってあだ名の先輩がいた。大空のように澄み切った心の持ち主とかそういう寛大な理由からではなく、「スーパーKY」。つまり、スーパー空気が読めないという理由から付けられたものであった。空気を読みなさすぎると、人は天に昇ってしまうものかと思ったものであった。