日報あつなり

2017年3月に5年間、大阪の某製造所で事務系の仕事したのちに、カナダに1年、オーストラリアに1年ワーキング・ホリデーで海外生活してました。2019年8月よりフィリピン生活開始。※基本的には毎日更新します。

恋における「まさか」

ここがオーストラリアじゃなかったら、いくらでも恋とか付き合ったりしているのに。

いつからか僕はオーストラリアに出会いを求めなくなった。

この歳になってくると、学生時代みたく感情的に動くことはなく、かなり理性的に物事を考えてしまう。

「この人ならこの先どうなっても構わない。」とか恋愛ドラマにありがちなセリフなんてものはもちろん遂行できるわけがなく、ただただ頭にあるのは打算的というか、僕もそうだが双方にとって付き合うことがいいことかどうか。

そんなことが頭によぎってしまうと、恋愛になんて走ることができない。

だから、オーストラリアで彼女を作るということ自体、僕の理性に問い合わせてみるとありえないことなのである。

元々、骨を埋めるつもりなど毛頭にないからだ。

だから、「彼女いるの?」とか「結婚しているの?」って今日聞かれたけど、そういうことを聞いてくるということはその人とは脈アリかなと思っている。

僕も別に付き合う分には悪くないなと思いつつも、その子のことを考えると付き合うべきではないという理性が働いてしまう。

ここがトロントとかだったら、「じゃあ、付き合うか。」ってことになっていたかもしれないけど、残念ながらここは僕が忌むべきオーストラリアである。

この歳になってくると、人と付き合うというのは色々な偶然が重ならないとできないものかなと思っている。

もちろん、合コンとかを頻繁にやっている肉食系の人はそんなこと考えていないかもしれないが、でも、そんなセッティングされた合コンで出会うというのも偶然とも言える。

「人生、上り坂、下り坂、そして、まさか」とは言い得て妙であるが、僕が人と付き合うにはそういう「まさか」を期待しないとできないのかもしれない。

と言いつつ、日本に帰って、meetupとかで外人の彼女をあっさりゲットしたりしたら、それはそれで喜劇である。

付き合う付き合わないという話は置いといて、休憩時間が一緒になって、「一緒にご飯を食べませんか?」と誘われたのに、「ダイエット中なんで、ヨーグルト食べときます。」っていう返しは我ながら男としてナシかなと思った。

その子に恥をかかしたような気がしたから。

断るにしても、もうちょっと気の利いた断り方があったろうに。

30歳にもなって、年相応のジェントルさの欠片もないと思ってしまった。